昔から「誕生日おめでとう」という言葉が不思議だった。
誕生日という産まれた日のx周年の日がなぜおめでたいんだろうかと。
なぜおめでたいのかわからないので、反応にも困る。
「ありが、とう?」
心から喜べない。
逆に人の誕生日を祝うのも苦手だ。
何がおめでたいのかわからないのに、みんながなんとなく使っているからとりあえず「おめでとう」と言えるような素直な性格には育たなかった。
SNSなんかはもうすぐ誰それの誕生日だよとか、今日誕生日のお友達にメッセージを送りましょうとか、毎日のように表示される。
毎日が誰かの誕生日だ。何か意味があるのだろうか。
誰かにはおめでとうと言ったのに、誰かには言わないなんてのもなんか面倒なので基本的には誰にもおめでとうとは送らない。
久しく会っていなくて近況が気になっていたり、新しい何かにチャレンジしていて応援したいなどの事情がある人がたまたまタイムラインに上がってきたら「おめでとう!」をダシにしてメッセージを送るとかくらいしかやらない。
誕生日ってなんだろう。おめでとうってなんだろう。
一般的におめでとうを使う時ってどんな時だろう?
経験的に思い浮かぶのは「努力が報われた時」「結果を残した時」「新年」なんかに使われている気がする。
「おめでとう」はgoogleさん的にはこう言うことらしい。
《感》
新年や慶事にあたってのあいさつの言葉。
慶事って何?
このサイトによると慶事は5種類だそう。
- 出産
- 結婚式・記念日
- 長寿
- 幼少期
- その他御祝
「誕生日」は「5.その他御祝」
「それってめでたいの?」ってのがちらほらある気がする。
で、 結局誕生日はめでたいの?
昔々、死亡率が高い頃や平均寿命が短い時は「1年生存する」に価値があった気がする。
乳児死亡率が1000対1.9で、80歳まで平均で生きる国、日本。
赤ちゃんが無事に育つ国 : 乳児死亡率は世界最低レベル、母子手帳も貢献 | nippon.com
平均寿命、男女とも最高更新 世界で女性2位、男性3位:朝日新聞デジタル
ただ生きていることに価値があるのか?
自分で自分に対してそれを感じることはなかった。
でも今はちょっと違う。
あまり夜泣きはしない。
外よりは家の方がやんちゃ。
はいはいができず腰をフリフリしている。
泣き声が可愛い。
抱っこするとすぐうとうとする。
でも傾けると泣く。
泣くけどすぐ寝る。
今は7.6kg。生まれた時は1.4kg。
2.5ヶ月早産で生まれた。
今、発疹が出て、39℃の熱を出している。
どうも、親にとっては死亡率とか関係なく子供が元気で育ってくれるというのは「おめでたい」ことのようだ。
11月11日に産まれたのであと3ヶ月で1歳の誕生日だ。
その時には、「生まれてくれて、育ってくれてありがとう、おめでとう。」と言ってあげようと思う。
彼は「なんでおめでとうなの?」と思うだろう。
それでいいと思う。
誕生日なんて美味しいものを食べられる日と言う認識で十分だ。
いつか誕生日の意味を考える日が来て何かを感じるまでは。
今日は私の誕生日なので、たまには「おめでとう」と言われる前に親に「ありがとう」と伝えてみようと思う。